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虎ノ門ニュース「昭和の英雄特集」にまた泣かされた・・・

こんにちは、ノブです。

 

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虎ノ門ニュースにはいつもお世話になっています。

タイでも見ることができることに加え、テレビと違い時間に縛られないこともネット番組の良さですね。

ネット放送でも海外からのアクセス制限がかかっているものは多いですからね。

そんなケチくさいことをしない虎ノ門ニュースには助かっています。

 

 

 

 

井上和彦さんの特集はヤバい 

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 その虎ノ門ニュースでは毎回様々な特集がありますが、その中でも井上和彦さんの「 昭和の英雄が語る 大東亜戦争偉大なる記憶」は秀逸です。

 

第2次世界大戦を戦った日本兵の方々のお話を聞く特集ですが、当時の生の声を聞くことができます。

 

この特集だけを集めた総集編を作ると、戦争を知らない日本人もリアルな戦争という者を感じることができるのではないかと思います。

 

ブログの最後に動画のリンクをつけていますので、興味のある方はぜひご覧ください。 

 

今回もまた胸をうつ内容だった

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今回は堀江正夫さん。

御年なんと103才!

陸軍少佐で戦争を終えた方です。

 

103歳とは思えないほどかくしゃくとした話しぶりで、さすが士官という感じがしました。

 

死んでも帰れぬニューギニア

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堀江さんは「死んでも帰れぬニューギニア」と呼ばれた過酷な戦地を体験されました。

ニューギニアの戦い - Wikipedia

ニューギニアの戦いでは、15万名の部隊のうち13万名の方が亡くなりました。

 

そのうちの6割以上は餓死や病死。

ほとんどが餓死だったそうで、本当に骨と皮だけになって死んでいったそうです。

 

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その過酷な戦いの様子を話してくれています。

食べ物がなくて参っている中で敵が攻めてくると、やっとのことで起き上がってみんな戦ったそうです。

 

そして、餓死した仲間を掩蓋の代わりに壕の前に置いて戦ったとお話をされていました。

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撤退時には、もう歩けないけれどまだしっかりしている人たちが「一緒に行けないけれども俺たちがあとは頑張ってるよ」と言って自らが盾となり、歩ける人たちを撤退させたそうです。

 

このような人々が人柱となって殿を務めてくれたおかげで、連合軍の追撃が始め一週間くらいはなかったと話していました。

 

なんとも壮絶な話です。

 

決死の覚悟で挑んだアイタペの戦い

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軍人として国民としていざというときに国のために死ぬのは当たり前だという大きな思いを持っていた堀江さん。

しかし、本当に死ぬと思った瞬間に思い出したものは家族だったそうです。

家内と出征する前に生まれた息子、この2人を思い出したと回想しています。

あれだけ国のため天皇陛下のために死ぬと決めていてもいざというときには家族を想いだしたことを、恥ずかしいと表現しています。

 

この「恥ずかしい」とい表現したことが、堀江さんは軍人だったんだなーと感じさせてくれました。

他にも、死ぬかと思った瞬間の爆弾が落ちてきたときにも、思わず「しまった」と言ったことを恥ずかしいと表現していました。

 

軍人としてミスを犯すことを恥ずかしいと考え、天皇陛下や国民のために死ぬことを厭ってはいけなかった時代の考え方なのでしょう。

 

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堀江さんは後方担当だったそうです。

後方担当と聞くと、最前線と違いのんびりしたもののような気がしますが、現実はまったく違っていました。

 

後方担当の仕事は物資の運搬です。

距離としては、名古屋から京都くらいの距離を歩いて物資運搬していたそうです。

しかも湿地帯。

これはどう考えても厳しい状況です。

 

運搬の途中1つの部隊が動かなくなりました。

物資運搬の監督が仕事であった堀江さんは現場に飛んでいきました。

 

着いてみると、隊長以下が高熱で倒れこんでいました。

食料もなく重労働で限界が来たのでしょう。

しかし、部隊監督が仕事の堀江さんは、心を鬼にしてその隊長に「何とかしてくれませんか」と頼みました。

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高熱でうつらうつらしていた体長が「堀江さんやりましょう」と目を開いて、20㎏の荷物を運んでくれたそうです。

しかし、その途中で人がどんどん死んでいく。

それを見ながら頑張ってやってくれる。

これが後方部隊であったとお話をしていました。

 

まったくのんびりした雰囲気ではありません。

敵との遭遇はなくても決死の思いで後方部隊も戦っていたことが分かります。

 

ここで井上さんから当時の部下や戦友、同期生にいま声をかけるとするとどんな声をかけるか?と質問が飛びました。

質問が終わるや否や、言下に「申し訳ない!」

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ひじょうにりりしい表情で何の迷いもなく「申し訳ない」と言えるその気持ちの強さに心を打たれました。

 

「今の日本の状況、靖国神社に関する問題、遺骨の問題、国民としてもっとちゃんとしないといけない。

今でも目をつぶると亡くなった戦友の姿が次々と浮かんでくる。

自分が何とか息を引き取るまでに解決への道筋をつけてから死にたい。

そうでなければ、戦友や先輩に対しても報告することもできない顔向けができない。」

私も身につまされる思いでした。

 

欧米列強からの解放という構想の真実味を感じた

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堀江さんによると、当時原住民がいろいろとよくやってくれたのだそうです。

例えば、日本軍の病人を自分の家に収容してくれて、亡くなるまで面倒見てくれたということがあったそうです。

 

この話が今回の特集でも最も大事なことだったと思います。

このエピソード、逆の立場で考えればあり得ないことだと思いませんか?

 

自分の国にやってきた他国の兵士たち。

しかも敗色濃厚な軍の兵士。

病気になっていたからといって自分の家に入れて看病するでしょうか?

しかも、亡くなるまで面倒を見てあげられるでしょうか?

 

このエピソード一つでも日本の戦争が侵略戦争でなかったことを、十二分に証明していると思います。

なぜなら、日本兵が自分の国に侵略してきた兵士であれば、絶対に病人の面倒を見ることはありません。

自分達を殺しに来た兵士を介抱するはずがありませんね。

 

しかしこれが侵略してきた兵士ではなく、自分たちを虐げていた西欧から解放するために戦っている兵士たちだったらどうでしょう。

その時は喜んで病人の介抱をするはずです。

原住民の人々から日本兵はこのように見られていたことを如実に表しています。

 

大東亜戦争侵略戦争であったと言われることもありますが、西欧列強の植民地となっていた東アジアを開放するとした日本軍の崇高な目標が、ウソでなかったことを示していると思います。

 

28年目の再会 小政とのエピソード

さて、堀江さんが48年に遺骨収集に行ったら、たまたま軍司令部で当時働いてくれていた原住民にたまたま出会って抱き合ったそうです。

大政小政の小政と呼んでいた青年でした。

 

ここもオーストラリアのおかげで電気もついたし、水道もついた。

家も良くなったしオーストラリアからよくやってもらって良かったなぁと言ったら、「それは違うよ」と言われたそうです。

 

彼は、「オーストラリアはフレンド、ジャパニーズはブラザー」だと言ったそうです。

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小政曰く、「戦争中あんたたちは我々と一緒に同じものを食べてくれたじゃないか。一緒にごろ寝したじゃないか。日本人は、我々を本当に人間として扱ってくれた。」と話したそうです。

 

我々日本人の胸を打つ一言です。

私に向かって投げかけられた言葉ではないのに、嬉しい気持ちになってしまいます。

 

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井上和彦さんは「これが真実なんですよ。」と言いました。

私もこうして当事者の話を聞くと、ものすごく真実味を感じました。

 

井上さんは続けます。

「東南アジアをはじめ世界中で同じ話を聞く。日本の兵隊だけはほかのどの国とも違ったと。これはPKOでも同じ。日本の自衛隊だけは、見てるだけではなく一緒に汗を流してくれる。南スーダンなんかも現地の人が手伝ってくれと言ってきた。まったくこれと同じ。」

 

コンビを組む藤井厳喜さんも泣いていました。

この藤井厳喜さんの涙顔を抜くカメラワークがイヤらしい。

一緒に見ている方も涙してしてしまいます。

 

若者たちへのメッセージ

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「日本人だという自覚をもって、我々自身を守るのは我々なんだ。

いざとなったら、みんなが力を尽くしてこの国を、この国の伝統を、我が兄弟や親族を、肉親を守らなきゃならんのだという気持ちを持ってほしい」と仰っていました。

 

堀江さんが接する範囲において、若い人たちが戦争遺骨の問題やその他にも非常に関心をもって活躍してくれている人が増えていることをうれしく思っているそうです。

そして「なんとかそれが国民全部の気持ちになってほしいなというのが、最後の死ぬ前にあたっての私の切なる願いです。」

というお言葉で締められました。

 

まとめ

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藤井厳喜さんが涙声で、現地の人との交流の話で「東亜(東アジア)開放というのは嘘じゃなかったと思いますね。」とコメントしています。

 

まさしくその通りです。

もちろん、謀略により石油を手に入れることができなくなったことが戦争の大きな引き金になっていたことは疑いようもありません。

石油が欲しいというのも本音だったでしょう。

 

しかし、こうした日本が受けたいじめ以上のものを、アジアの各国は植民地として受けていました。

そのため、虐げられているアジアの人々の解放を目指したこともまた事実だったと思います。

アジア人はアジア人同士で繁栄を手に入れる、それが大東亜共栄圏構想でした。

 

最後に、井上和彦さんが「先の戦争は侵略だと、見たこともない奴が、現地の人から話を聞いたこともない奴が、そんな人が先人を貶めるようなことをなんでできるのかと本当に哀しく思う」とコメントしました。

同感ですね。

 

今回の堀江さんのお話を聞いてしまったら、軽々しく「侵略戦争だった」などと言ってほしくないと、私も思いました。

 

今回も日本人であることを誇りに思うことができるお話です。

そして、その誇りある日本人であることを再確認して、襟を正さなければならないと思わされる特集でした。

ご興味ある方は、こちらからご覧ください。

youtu.be

  

今宵はここまで。また次回をお楽しみに。

 

 

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