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自由研究はなんでも「自由」なのか?「自由」を履き違える日本人たち

もうメシは食ったかの?儂はノブじゃ。

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長野市の小学校の自由研究が「自由」じゃない?Twitterで母「自由研究なんだからなんでもいいじゃん・・・」という記事を読んだ。

それはそうだ。

自由研究なんだからなんでも自由に研究すればよい。

長野市では自由研究に統制をかけているのかやれやれだぜ」と思いながら読んでみたら、びっくりした。

研究のテーマが自由でないのかと思ったら、発表作品の体裁が自由でないと違和感をつづっていたのだ。

つまり、自由研究専用の用紙をガムテープですだれのようにつなげる形で発表内容をまとめていかなければならないことが、自由研究という名に反していると言うのである。

www.huffingtonpost.jp

 

 自由研究という名前は明らかにテーマの自由を謳っているのであって、発表形式が自由という意味ではないことは当たり前ではないのか。

もし、みんながてんでバラバラな体裁で発表したら、ごちゃごちゃして見づらくなるのは当然である。

発表を見るものからしたら分かりやすくまとめることは大事であろう。

それを自分勝手にやっていたら、自分は気持ちよくなるかもしれないが、見ているものとしてはなんだかよく分からないものになる。

 

しかしこれがまだ、子どもの自由研究がこの統一の形式にそぐわないものなので子どもがかわいそうだという意見なら儂も十分に理解ができる

ところが、この母親はツイッターでこのようにつぶやいた。

貼り合わせて吊り下げ部分をつけて提出する形式に作り上げるのも実際親が手伝わないと無理だし

それができない子どももアレだが、ああ、とりあえずめんどくさいのね。

そう、あなたがめんどくさいだけなんだよね。

 

そしてその後の取材にこう答えている。

共稼ぎの核家族が増えて子供の宿題に全力投球できる時間も余裕もない家庭も多いし、テーマを決めてやらせるだけでも夏休みの自由研究は重いのに、自由度が低く子供のやりたいことをストレートにやらせられないのはどうかと思います」

共稼ぎうんぬん、自由研究が重いうんぬんは理解できる。

理想論では頑張ってやれよ!と言いたいところだが、親だって子供の面倒四六時中見るのは大変。

 

しかし、最後はおかしいであろう。

「自由度が低く」

なぜ??

発表の体裁の自由度が低いのであって、テーマの制限はない

 

「子どものやりたいことをストレートにやらせられない」

その前に自由研究が重いと言っている、つまり子どもは自分から自由研究のテーマを見つけられなかったという意味だよね。

なのに、ちゃんとやりたいことがあるんかい?

そんなわけないだろ。

この母親はただ自分がめんどくさいのを正当化しようとしているだけなので、こんな矛盾がでてくるのだ。

 

「長期休みに興味のあることをやってみる、というのではなく、見栄え良く掲示するための宿題になっているようで、誰の何のための宿題なのか疑問に感じます」

???

興味のあることやればいいのではないか。

いったいだれが興味のあることを制限しているのだろうか。

見栄え悪く作るより、見栄え良く作ることは自分のためでもあるでしょう。

誰かのせいにして、自由研究から逃げようとしている姿勢が見え見え

 

「プレゼンテーションやまとめの練習になるという意見もあるようですが、それは別にやれば良いことで、自由研究の名目でやることではないと思います」

夏休みの自由研究程度が重いという子どもが、プレゼンテーションやまとめの練習を別でやれるとはとうてい思えないが。

 

 

どんなに読んでもただただ親がめんどくさいだけのようにしか見えないのである。

ツイッターでの意見で、「これは全然自由じゃないし大人の都合」なんて意見もあるが、では子どもの都合に合わせればよいのか?

子どもの都合なんてその瞬間瞬間で変わっていくものだぞ。

さらには子どもというくくりで十把一絡げにはできないほど千差万別である。

そんな収拾のつかないことになるよりも、大人の都合で形式を調えることのどこに不満があるのか。

 

この保護者はツイッターでつぶやいただけであるが、これが成長するとモンスターペアレンツにつながっていく。

心情的にはこの母親の気持ちは分からなくもない。

しかし、自分がめんどくさいだけのことを学校の制約がおかしいとするのは残念ながらいただけない。

 

そして、こんなくだらない記事を書いたメディアもいただけない

なんのためにこんな記事を書いたのか?

学校の自由研究が自由でないということを知らしめようとしたのか?

もしそうなら全然筋が通っていないし、何の訴求力もない。

ただただ、もやもやを感じるだけの記事である。

 

最後に、自分が子どもの時を思い出してほしい。

夏休みの自由研究や夏休みの思い出に、母親や父親との記憶はないだろうか?

親に手伝ってもらったけど、それはそれで楽しい思い出ではないか。

儂の家庭はやはり共働きだったが、父母は一生懸命相手してくれていたように思う。

 

お母さんと一緒に過ごした時間の一つ一つが子どもにとってのかけがえのない思い出になっていくことを考えてほしい。

この母親が子どもの手伝いを、めんどくさいオーラを全開にして不機嫌にやっていないことを心から祈る。

多くの子どもたちがこの夏休みに両親と素敵な思い出を作れることを願ってやまない。

 

今宵はここまで。また次を楽しみにしておれ。

 

 

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