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これはタブー?未来の大人たちに英語教育は本当に必要なのか

もうメシは食ったかの?儂はノブじゃ。

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儂は常々思っていたのだが、「英語教育」というのはこれからの時代に必要なものなのであろうか?

正直言って英語は必要のない教育になっていくのではないか。

それについて今日は考察してみたい。

 

小学校で小3から英語教育が始まり、大学入試も4技能の試験に変わる

2020年から小学校の英語教育が大きく変わる。

現在は小5~6で行われている外国語活動(必修)が、2020年には小3からに前倒しになり、かつ小5~6では成績のつく「教科」に格上げされる。

また同時に大学入試についても、センター試験が廃止され、新たに「大学入学共通テスト」が始まり、英語の試験については今までの「読む」「聞く」に加えて、「書く」「話す」が入り4技能で採点されるようになる。

日本の英語教育にはいろいろと問題点があるが、日本国としてグローバル時代に世界で戦える人材を育てるという強い意志を感じる変革である。

 

www.benesse.jp

 

そしてさらに、2020年には小学校でプログラミング教育も始まり、その後高校では「情報」が共通履修科目となるのだ。

小学校の内容は、プログラミング的思考を育て、来るべきIT社会に通用する人材を育てるための種まき的なものであるが、プログラミングに多くの子どもたちが触れることにより、プログラミングに興味を持つ子供を発掘したいと考えているようだ。

将来今よりもっとIT化された未来が訪れるのなら、優秀なエンジニアをどれほど多く育てることができるかが、日本の競争力を高めるための方法となるからであるな。

resemom.jp

さて、この2つの教育改革を見て何か気づかないだろうか?

儂は、この2つから英語教育はこれから必要のない時代になると断言したい。

 

グーグル翻訳の性能

読者の皆は最近グーグル翻訳を使ったことがあるだろうか?

儂は海外在住なので、グーグル翻訳をしょっちゅう使っている。

この翻訳の性能が2016年に格段に上がったことを知っているだろうか?

「ニューラル機械翻訳」という技術により、かなり精度の高い日本語に訳してくれるようになった。

すでにサービス提供から2年が経ち、今では相当にまともな文章を作ってくれている。

nissenad-digitalhub.com

 

また、2020年の東京オリンピックに向けて携帯用の翻訳機も成長を見せている。

スマホアプリのグーグル翻訳でも日本語は会話モードがあるので、わざわざお金を払って買う必要があるのか甚だ疑問ではあるが、携帯機ならオフラインで使えるところがポイントである。

moyarin.com

 

人が10年かける英語教育 VS ディープラーニングで劇的進化するグーグル翻訳

小3から英語教育が始まるということは、高校3年までで10年間英語を勉強するということになる。

その間に膨大な時間と努力を費やして英語という技能を身に着けていくのだ。

 

その努力は尊いものであるが、よく考えてみてほしい。

センター試験で必要な英単語数は約5000語、難関私立大学で約8000語と言われている。

その数の単語を覚えるだけでも大変なことは日本人なら誰しも知っていることだ。

そのうえ、熟語、慣用表現、文法などなどと覚えることは山ほどある。

 

しかし、グーグル翻訳にたとえ今から単語を覚えさせようとしたところで、5000語、8000語の単語を覚えることに、はたして苦労があるだろうか?

膨大な知識をため込むことにおいて、機械と人間では全く勝負にならないことは明白である。

 

はっきり言って、日本人が英語を学ぶスピードとグーグル翻訳の成長するスピードはレベルが違う。

近い将来グーグル翻訳をはじめとする言語翻訳は、ネイティブ同士が会話するのに近いレベルまで発達することは間違いない。

であれば、違う言語を話す者同士のコミュニケーションツールである「英語教育」は今後まったく必要なくなってしまうのではないだろうか。

 

「英語を学ぶことで得るものもある」という反論もあることであろう。

「機械を通したコミュニケーションは、本当のコミュニケーションではない!」という情緒的な反論もあることだと思う。

どちらも儂は否定しない。

しかし、英語を学びたいという意思のあるものだけがそれをやれば良いのであって、すべての日本人が必須科目として勉強する必要はあるまい。

そんなこと言ったら、「国語だって数学だって歴史だって、グーグル先生で調べればいいじゃないか!」と言われるかもしれないが、それは全く違う問題である。

 

国語は、文章の読解力や、考える力を育てる教科である。また、素晴らしい文章をみて感動するという感性を養う場でもあるかもしれない。

これは非常に大事なことである。日本にいると気づきにくいかもしれないが、海外にいるとこんな例を見かけることがある。

両親ともに日本人であまり勉強のできる方でない子どもが、中学からインター校に通いはじめたとする。

インター校とはいろいろな国籍の子どもたちが世界共通語である英語で学ぶ学校のことである。

インター校に通うと授業はすべて英語なので、もちろん英語力はつく。しかし、この子の場合両親ともに日本人なので家で使う言語は日本語、つまり母国語は日本語なのである。

なので、英語を頭の中で日本語に翻訳する作業が入ってくる。

しかし、いちいち日本語に訳していたのでは時間もかかるし、微妙ニュアンスの違いも出てくるし、とにかく大変である。

そうすると、翻訳することに精一杯になって、頭の中で考える力というのが育たなくなるのだ。

もともと勉強のできる子ではないのだが、ますます勉強はできなくなり、英語は使えるようになったが、深く考えることが苦手な大人に成長していくことになってしまった

このような教育を自分の子どもにしたいと思うだろうか?

たとえ英語が使えようとも、自ら考えることのできない人間ではあまり意味がない。

考える力というのは母国語で訓練することで身につくものなのである。

そのため、国語の授業というのはこれからも必須の授業であろうと思う。 

 

数学は当然数字全般や関数、グラフ、図形を勉強することで、社会に出てその応用をあらゆる場面で使っていく。

今の科学の発展に数学や物理が大きく寄与していることは疑いようのない事実である。

歴史なども過去の流れや結果を考察することで、今の我々の行動指針に影響を与えることは言うまでもないであろう。

つまり、国数理社などは教養として勉強することは必要なのである。

 

しかし、これらの教育と英語教育とは根本的に大きな違いがある。

それは、先にも触れたように、英語教育とはあくまでもコミュニケーションツールなのだ。

コミュニケーションを取れることが大事であって、SVOなどの文構造は本来どうでもいいことである。

自分の口で英語を話し、自分の耳で英語を聞くことができればそれは良いことであるが、それは他言語を話す人間とコミュニケーションを取るうえで絶対条件ではない

翻訳機がお互いの意思を通じ合えるようにサポートするようになれば、英語を学ぶ必要はなくなってしまうのである。

 

しかし、多くの人がこれに気付いている(はず)なのに、小学3年生からの英語教育に待ったをかける人が出てこないのはなぜなのだろうか?

 

小3から英語教育がはじまるので、英語教員が足りないという話もある。

大学入試で「話す」という技能が入るので、英会話業界は大喜びという話もある。

人員を増やすと簡単に減らすことはできない。

つまり長くこの制度でやっていこうと思っているわけである。

しかし英語教育のバブルは、AIによる翻訳機能が成熟化するまでの、一瞬の線香花火のようなものではないだろうか。

長く続く話ではないと儂は思う。

 

ひょっとしたら誰も触れない理由の一つに、英語教育が廃れていくと困る人たちが多く出てくるからなのかもしれない。

今現在英語を使って生計を立てている人はかなりの数に上っていると思う。

もし、英語教育が一掃されれば、日本国内に何百万人という失業者が出てくることは想像に難くない。

教育改革とプログラミング学習必修化という2つのキーワードにはこうしたタブーが隠れているのかもしれない。

 

今宵はここまで。また次を楽しみにしておれ。

 

 

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